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2011 年07 月17 日

自治体法務合同研究会厚木大会

毎年、全国の自治体職員有志が集まる法務研究会。去年は参加できなかったが、今年は神奈川県厚木で開催された。

全体会のパネルディスカッションは、松沢前神奈川県知事もパネリストとなっておられていて、条例づくりのいろんな隠れた努力を聞けたのも良かったが、何よりも興味深かったのは、大阪府下の1市職員が松沢前知事と対等な立場で政策法務について議論をしていたこと。分権時代の象徴だ。

分科会では、「コミュニティ形成のためのまちづくり条例」の分科会に出席した。渋谷区のまちづくり条例をコミュニティ形成の観点からその意義と課題を報告したものだ。

 それを聞いて、ワンルームマンション規制条例の立法事実が以前からよく分からなかったが、コミュニティ形成にあると考えると、その立法事実の意味が分かった。
 と同時に、紛争予防条例の先進自治体である渋谷区ですら、あっせんに至るケースもないし、調停に至るケースもない。たまにあっせんに上がっても、周辺住民と事業者とが言い合って終わるだけということだった。

 それを聞いて考えた。私も京都市の建築紛争予防条例の建築紛争調停委員会委員になったが、京都市でもその周辺市でも同じように利用状況は低迷している。
 しかし、考えてみれば、それは建築基準法のようなデジタル型の法令と同じようにまちづくり条例の運用をしているからではないか。建基法はデジタルな基準を設定する。それは基準に適合するか、白か黒か、しかあり得ない。まちづくり条例の「協議」も同じように運用されるとすれば、およそ「協議」など成立するはずがない。まちづくり条例をデジタルに、建基法と同じように運用するから、条例の趣旨が活かされないのだ。

 そもそも「協議」とは基準適合性ではなく、お互いの利益を適正に配慮すること。そこにはデジタル型の解はない。いくつもの複数の解がある。刑事裁判で言えば、有罪か無罪かはデジタルにしか決まらないが、量刑には懲役7年もあれば、無期もあるようなものだ。最近、最高裁ではやりの「配慮」型の判決も同じようなものだろう。言い換えれば、訴訟から非訟への流れの中にある。
 条例の「協議」の趣旨を活かした運用を再構築することによって、コミュニティ形成も可能となるのではないか。そのようなことを考えさせられた。

投稿者:ゆかわat 08 :33| ビジネス | コメント(0 )

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